#1 客の呼び込みから漫画家のインタビューへ、原稿用紙16枚と少しの文章の中に、成長の可能性を秘めた10人の登場人物と12の断片詰め込んで見切り発車する無駄に長い名前のついた物語の第一章。

物語は、語る者がいなければ。語られた物語には、耳を傾ける者がいなければ。さあ、喧騒のうちに、あるいは酩酊のすえに、この物語をはじめよう。四方八方、ちりぢりに、縦横無惨、あわれこの舌足らずな語り手たちが紡ごうとしている何ものか。なんの因果か立ち寄ったそこの奥さん、検索ワードで引っかかった失望顔のお兄さん、こんばんは先生、あなたは社長、貧乏文士の君も、あらゆる人を受け入れて、この未熟な語り部は呼び込みを。夜のネオン街。酔った客、連れの客、笑う客、すかす客、睨む客、無視する客、いい娘(こ)が入ってますよ、新人です、濡れ濡れのびちょびちょです。寄ってかない?社長、寄ってかない?イケメンがいるよ、おねえさん、遊んでいかない?やさしくするよ。稼いでいかない?損はさせないよ、どこよりも割りはいいんだよ。寄ってってよ色男。おネェちゃん暇そうだね、そこ、行かない?ねーねーおにーさん、今一人?おネエさんも独りぼっちなのよぉ、二人でチェックインしない?おねぇさん美人だね。お金んなるいい仕事あるよーん。ねえねえ、ねえねえ。ねえねえ、ねえねえ・・・・・・。
 はい、お客様二名様お通しー。どちらの子にしますか?こちらの子。こちらの子はスタイルもいいですし、そうですねえ、オススメですねえ。こちらの子。こちらの子もお嬢様系でオススメですねえ。こちらの子。こちらの子は清純派、正統派清純派です・・・・・・あ、こちらの子。こちらの子はロリ系です・・・・・・こちら、あ、こちらはお姉さま系で・・・・・・こちらはき・・・・・・あ、こちらの子はそうですね、あ・・・・・・こ・・・・・・あ、はい、こち・・・・・・え、あ、は?お帰りになられる。いえ、ちょ・・・・・・あ、・・・・・・はい、ありがとうございましたー、またのお越しを、次はいい子そろえときますからー。

   ♀

 あちらで音が鳴っている。なんの音かしら?静かで、ゆったりとした音。こちらは小鳥のさえずりのように、か細いけれど美しいわ。こちらではなにやら騒がしい音。何かを壊したがっているような音。こちらは言葉の洪水。リズムにのせて、言葉が溢れ出してくる。そこにもメロディーがあって、聴いている人たちは心地良さそうに身体を揺さぶっている。肉を揺らして、頭を揺らして。
 音に耳を澄ませなさい。
 たくさんの音。
 聞き分けられる?
 無理よね、そんなの。
 不協和音。
 この世はなんて音楽に向かない世界。
 それでも、それぞれの音はとてもきれいなのよ。
 音を組み合わせて曲を作り出せるアーティストは素敵よね。
 でも、そんな人は滅多にいない。
 たいていは音符の組み合わせや誰かのコピー、つぎはぎだらけのものでしかない。
 そんな中でも、奇跡的にわたしたちの鼓膜を越えて響いてくる音楽がある。
 そういう音楽を、わたしは好む。
 そういう音楽を、わたしは奏でる。(22-1)

   +

 どんな音楽でも、鳴ってさえいれば。
 どんな女でも、マ○コさえついていれば。
 どんな人生でも、神(だれか)が命を授けてさえいれば。
          ──ピンク映画(題名不明)の冒頭に引用された一節より。

   ♪

 読者(あなた)はこのウェブサイトを開いて、なんだこのふざけたページは、オナニーは寝てやれってんだ、お股かっ開いて腰振りやがって、赤っ恥白っ恥、公開するなよこのメロウ、ふざけるな、死ね、見るな、読もう、どういうやつが書いているんだろう、たぶんネクラでオクラな引きこーもり、ろくなヤツじゃないだろうか。

   !

 カタ、カタカタカタ・・・・・・カタカタカタカタ・・・・・・。

 ワン!(one?)

   §

「つまり、うまく終われる可能性は極めて低いってこと?」
「そうね。人生と同じようにね。ある25歳の青年は、朝起きてベーグルに大好きなイチゴのジャムをはさんで食べて、大好きなブログの記事をいくつか斜め読みして、陽が昇るとスターバックスに行って音楽を聴きながらキャラメルマキアートを飲んで、一人でカラオケに行って3時間ほど歌い通して、ああ、オレもついに念願のプロジェクトリーダーか、と思ったらカラオケの出口付近のエスカレーターで、走ってきた5歳の男の子に体当たりされて転げ落ち、頭を強く打って死んでしまったの。運悪く落下するには具合がいい感じに手すりが低くなったところがあって、助かりようがなかったみたい。思い出すに、朝食べたイチゴジャムみたいになったのね。キャラメルを飲んだ店の名前みたいに、星になったのね。自分のために棺桶で葬送の歌を奏でたのよ。あとから振り返ると意味深いけれど、意味なんてどうにでもなるし、いや、とにかく、ここで言いたいことは、彼はプロジェクトリーダーになりたいと思っていたけれど、もっと大きな野望もあったってこと。それが彼にとってのゴールよね。でも、そこまで行くことなしに、突然終わってしまうこともあるってことなのよ。」(19&20-1)

   †

 大いに感想や批評をコメント欄に書き殴ってくれたらと思う。ご存知、私がやりたいのは自己満足とちょっとした問題提起──いや、そんなに大それたものではない、ささやかな疑問提起くらい、しかもあなたがたのような人ならとうの昔に気づいているような手垢のついたもの──であって、自分の地位を押し上げたり、ここにいる「私」を神格化しようとしたり、才能の誇示をしたり(はん、そんなものあるならこんなところに小説なんて書かないね)、我が思想と言の葉の力に屈せよ愚民たちよでもなければ、アカデミックな文学談義でもない。
 老衰重ねていくばくか経ち、ここに代わりに書いてくれる者もいるわけだし、ちょっと暇つぶしにいくつかの物語を語ってみようかと思い立った程度のことである。
 奇人またへんなことをはじめたぞ、というような「目」で見ていただいたら幸いである。
 そうして、その「目」で見たあとには何かを書き殴っていってくれたらと思う。その、あなたの書き殴っていった言葉でさえも、この小説に彩りを加えるらしい。
 死にゆく私の枕元に、そっとそんな暴力的な言葉の花を捧げていってはくれまいか。(7-1)

   ◎

「寝苦しい夏が過ぎて、やっとこさ気分良く眠れる秋がきた。と思ったら、このガキ、0時回ってずいぶんたっても寝つきやしねえ。へこへこした腹をぽんぽんしてやってるのに、目は天井じっと、時々きょろきょろ、なんだそれは寝てないよっていうアピールか。
 生憎おまえのかーちゃんは夜勤でいねーんだ。言われた通りの食事と排便はやっただろうが。おまえもこんだけデカくなったし、そろそろケツはてめえで拭いてもらいたい。もんだが、なんせ言葉をちっとも覚えられねえもんな。叱りようがないんだ。無理もないよな。でも仕方ない。おまえはオレが今生(こんじょう)それ以上ないってくらい飲みまくって吐いて戻してそれを啜って、そんでもってそれを介抱しに来たかーちゃんと便所でできた子どもだからな。でも意気がるなよ。だからっておまえはそんなにすげえやつじゃないんだ。便所で生まれた悲劇の子どもは天才だったりするって思うだろう?そうじゃねえんだ。可哀相に。このまま遅れたまんまかもしんねえ。天才だったら、それはそれで悲劇だぜ。オレは地の果てまでおまえのすねにむしゃぶりつくぜ。おまえのかーちゃんはあんまり魅力的な女じゃないよな。あんだけ酒を喰らわなかったらたぶんヤッちゃいねえよ。でもな。オレには計算があったんだ。あ、オレはこの女と結婚するなって、人生始めてそう思ったんだよ。だからあんなに酒喰らったんだよ。でよ、なんか知んねえがうまくいったんだよ。あれは真面目なところがあるがな、真面目すぎるとどっかに穴ぼこができんだよ。そこにオレみたいな根性なしのトんがったのがネジ込む余地があったのよ。クズにも愛着がわく場合もあるのよ。悲観するなよ。人生はとてつもねえんだ。天才だろうが天才じゃなかろうが、面白いことはたんとあんだ。悲観するな。そうか、聞きたいか。じゃあ話してやろう。どうせおまえはいつまでたっても眠らないんだろう?」
 息子を前に、父親が語る。
 でたらめな男の、でたらめな話。
 今日も少し、お酒の匂いがする。
 それでも彼は、重要な語り部の一人なのだから、仕方がない。(16&17-1)

   ♂

 だまされるな!

   ▽

「好きな作家?そうですねえ。グレアム・スウィフト、トマス・ピンチョン、ジョン・マクレガーあたりですかねえ。え?どのへんがって?それに答えるのは無理だなあ。いやいや、だって読んでいませんもん。え?作家なんて、別に作品を読まなきゃわからないもんじゃないでしょう。まわりの人がいいって言ってんだから、いいんでしょうよ。まわりの人?うちの弟なんですがね。」

   ※

 私は物事に理由をつけたり分類わけをすることはあまり好きではない。そんなことはどうでもいい。
 頭では説明のつかないようなものに魅力を感じる。
 自分のことはたまに嫌いだけど人間は好きだ。人間は面白い。
 何事においても別に美しくなくていいと思う。
 醜い感情でも、もう一つ外側に自分を置いたらとても素敵に見える。(22-2)

   ☆

「デビュー当時の僕は、一度自分の方法論をすべてぶちまけておきたかった。そう思ってこれを描いてました。『おまえの代わりになる歯車はごまんといるんだよ』と、当時の編集者は言いました。『出し惜しみするな。そこまでの器じゃない。ぎりぎりのところで千々に乱れながら、満身創痍で次の漫画を描け。』今思えば、あれが僕の成功を決定づけてくれた、運命的な一言でしたね。」
 漫画家は、自宅近くのカフェでそんなことを語ってくれた。
 彼は、手塚治虫の『人間ども集まれ!』という漫画を読んだことがあるか、と聞いてきた。不勉強ながら知らない、と私が答えると、彼は簡単に説明してくれた。
「手塚治虫はその漫画を大人向けの週間漫画雑誌に連載しました。彼は従来の子ども向けのタッチから脱出したがっていた。それで、この漫画の中でセックスの問題に取り組みながら、大人のタッチを模索しました。芸術家とは常に自分の殻を破ることを考えて生活するものです。人間とは本来そういうもので、社会も従って本来そういうものですが、時々停滞してしまいますね。そのためには誰かが莫大なエネルギーをかけて抑える必要がある。子どもを家から逃がさない親のように。それがうまくいく場合もあるけど、大抵、遅かれ早かれ、子どもは家を出ていくものです。手塚治虫はそれがきちんとした形になっていてもかまいはしませんでした。あの超多忙の中でも、連載が単行本になるときには大きな加筆訂正を加えました。ラストまでも、容赦なく。
 今ある自分なんてはかないものです。でも、多くの人々は安楽を求めて狭い解釈の中に閉じこもろうとします。
 昔、ゴダールがロッセリーニの映画について、こう言ったそうです。『シーンというのはショットの積み重ねであり、それによってつくり出された"流れ"のことだ。大事なのはその"流れ"であって、一つひとつのショットの切り味ではない。』って。だから、思いついたものには片端から形を与えて吐き出してやらなきゃならない。映画のシーンは漫画の一コマ、あるいは1ページくらいかもしれない。ともかく、奇抜なコマや見開きがあったところで、その漫画は傑作になるわけじゃありません。だから、確かに僕は技巧をこらす漫画家かもしれないけれど、そこにとらわれてちゃいけないんだ。僕の漫画を「盗作」する人間が多いようだけれど、別に構いやしない。どんどんやってくれ、という感じなんです、本当に。剽窃(ひょうせつ)される、模倣される、真似されるからには、それなりの正しいフォーマットを僕が提示できたということなんだろうから。ほんと、どんどんやってくれ(笑)。むしろ、そうやって語り継がれていくような、伝染していくような魅力それ自体に、僕は興味がある。でも、iPodが便利だからってそれが流布したところで、中の音楽がちゃんと鳴っていないとあんなに売れないですよ。核戦争ですべてが焼き払われたあとにクーペを買うようなものだ。あ、なんでその人は生き残ってるんでしょうね。生き残るくらいのなんかすごい人なら、荒廃した大地をクーペで走っても様になるかもしれない(笑)
 まあ冗談はそのくらいにして、漫画の次のコマに描くべきことは、事前に用意されたものではなくて、漫画の"運動"によって決まるんです。この、描いてる僕と、描かれつつある作品の力関係の逆転は、漫画を描くときに絶対に忘れてはならないことなんです。」(1-1)


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2007年10月08日 | Comment(7) | TrackBack(3)

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